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「理想」にケリをつけて今を仕方なく生きている人達は、消極的誤解によって上手に生きている。

世のルールを分かったり、実態を発見したと思っていても、本当は何もかも「複雑怪奇」だということを心の奥底では知ってるんだよね。深い部分で無意識的にそれは自覚されているが、現状では何かにケリをつけないと今が立ち行かないし、時間もないから仕方ないだけで。

 

だから私はあらゆることに誤解をしながら生きていかねばならない。この文脈において「誤解」の意味は善でも悪でもない。それは信念もしくは妄念といった「何かを信じる強さ」であり、つまり何かを信じなければ(誤解しなければ)、現実問題に対処できないし先に進めない。

 

だから世情や自分が下らないと思えたり人を傷つけたりして自分の正誤基準が間違っているのかもと心折れそうな時、その根拠が薄弱だと知りながらも自己肯定をし、前向きになることが何を信じていいのかどうしようもなく分からなくなってしまった時に取りうる適正解だと思う。

 

それは善悪が対立している一方の自分をあえて進んで否定することで、他方の自分を無理にでも押し上げつつ肯定させる(少なくとも、固まって動けなくなってしまっている思考の風通しを良くする)力強い推進力、一歩を踏み出す力にもなるかなと。

 

たまに「あなたは自分の仕事に自負心をもってるよね」と皮肉めいた口調で言われる(言われた)ことがあるが、意味がなく下らないと思いつつも現状を肯定して「私」を鼓舞しないことにはやっていけないものね。最善解ではなく適正解でしかないというのは本人がよく分かっていることだし、それを見失うまで妄信せざるを得ない他人からみれば「お馬鹿」な人達はある意味、被害者である。